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  • 第3日12月11日平成21年第7回定例会
  • 行政刷新会議ワーキンググループによる事業仕分けの結果を得て今後、伊丹市の道徳教育の進め方が影響を受けることがないかどうか、当局の見解をお聞きしたい。
    又、伊丹市教育ビジョンにおいて、学校における学習規律やマナー等に関する「伊丹版ルール集」を作成するとあるが、その内容及び利用方法について
  • 危機発生時の対応を子ども達に教えていく中で子ども達の危機管理意識を向上させ、扶助の精神である「助け合いの心」と「思いやりの心」について子ども達に考えてもらい、身につけてもらうことを必要と考えるが、当局の見解をお聞きしたい。
  • 環境教育において、「我慢する心」と「相手の立場になって物事を考える心」について子ども達に考えてもらい、身につけてもらうことを必要と考えるが当局の見解をお聞きしたい。
  • 食育において「感謝する心」と「もったいないという心」について子ども達に考えてもらい、身につけてもらうことを必要と考えるが当局の見解をお聞きしたい。

以下原文

議員 岩城敏之 
 おはようございます。ただいま議長より発言の許可をいただきましたので、発言通告書に基づき1回目の質問をさせていただきます。
 本年9月18日、国民的な観点から、国の予算・制度、その他国の行政全般のあり方を刷新し、国・地方公共団体及び民間の役割のあり方の見直しを行うためとして行政刷新会議が組織され、提出された予算要求に対して、その必要性について徹底した精査を行い歳出の徹底した見直しに取り組むとして、11月11日より行政刷新会議ワーキンググループによる事業仕分けが行われました。
 事業仕分けについては、国としての将来像、方向性が明確に示されないまま、財源確保を最優先として国家戦略なしに廃止、削減された事業も多く見受けられ、また、削減された財源は他の事業の財源に充当されることから実質的には国家予算そのものの削減にはならず、したがって我々国民の負担が軽減されるものでもないことから、私個人としては疑問を持ち、日本の将来に対して不安を持たざるを得ない点も多くありました。
 しかしながら、財務省は今までも今回の事業仕分けと実質的には同一内容の作業を行っていたわけで、我々国民には見えなかった部分が公開されたことにより、今後、各政策について議論されるべき論点が明確になってきた点、及び、縦割り行政、各省庁の縄張り意識から同一内容の事業を複数の省庁が行っている事業について整理される可能性が出てきた点は、今回の事業仕分けの効用であったと思います。
 そこで、今般の事業仕分けによって予算が削減されたもののうち、今後、伊丹市の道徳教育にも影響してくるのではないかと懸念する点がありましたので、今回、当局の見解を改めてお聞かせいただきたく質問させていただきます。
 教育基本法が改正され、道徳教育は教科化こそ見送られたものの、重点的な指導に取り組まれることとなりました。しかしながら、今回の事業仕分けで道徳教育総合支援事業は、廃止4名、自治体の判断に任せる2名、予算要求の縮減8名となり、結果として3分の1から半額の予算要求の縮減となりました。それと同時に、今後の道徳教育に対して不安を覚えるような報道もなされました。
 そもそも戦時中の教育においては、公と私というバランスを欠き、公が肥大化して私が押しつぶされていったという面があったわけですが、戦後は逆に私ばかりが肥大化し、公の精神が希薄になって、その結果、私と私のバラスまでがおかしくなりました。ここ最近の悲惨な事件もそういった精神面のバランスを欠いて多く頻発しているように思います。こういった精神面のバランス、つまり公と私とのバランスをとり、個人と個人の関係を良好につなぐ役割を果たすのは、国民すべてが共有できる成文化された規律である法律ではなく、社会規範が必要であり、これは決して価値観の押しつけではないと考えます。
 その意味において、本来、道徳教育は教科化すべきであり国が主導的に道徳教育を推進すべきであると考えている私にとりましては、「『心のノート』の印刷、配布予算は全廃、特色のある道徳教育支援は不要」とか、「『心のノート』はウエブで上げたことで目標を達成した」といった国としての統一的道徳教育に対する読本は必要ないとの意見や、「地域の実情に応じて行えばよい」とか、「地方自治体の判断で実施すべき」、「特色ある道徳支援は、地方・大学などに任せるべき」、さらには、「道徳教育推進は費用対効果を具体的、定量的に評価することが困難なためディベートで心を育てる仕組みを予算ゼロで実施可能である」といった、評価シートに記載されたコメントに対しては疑問を持たざるを得ません。
 本市においては、議会でもこの10年間に100回を超える道徳教育に対する答弁をいただいております。本市の道徳教育に対する取り組みは、今後も国の動向に惑わされることなく進めていかれると確信しておりますが、改めて当局の道徳に対する取り組みにつき見解をお聞かせください。
 また、伊丹市教育ビジョンにおいて、次代を担う児童生徒に、社会性や善悪の判断、人とかかわる力、生命のとうとさ、優しさや思いやる心など「豊かな心」をはぐくむため、学校における学習規律やマナーなどに関する「伊丹版ルール集」を作成するとありますが、その内容及び利用方法についてどのように検討されているのかお聞かせください。
 次に、地域防災、環境教育、食育の各教育において道徳教育を考えられないかについて、当局の見解をお聞かせいただきたく質問させていただきます。
 伊丹市地域防災計画の学校教育における防災教育では、方策として、教科指導、防災教育・訓練、課外活動における教育の3つが上げられ、計画として、自然災害に対する知識教育、避難教育の実施など、集団で行動する緊急時の規律と協力の精神を養うと3つが上げられています。
 現在、危機管理に関しては、伊丹市地域防災計画、伊丹市新型インフルエンザ対策計画など行政サイド側の各種対応計画の策定は進められておりますが、今後、実際に伊丹市が被災地域となった場合、行政としての役割が本当にどこまで果たせるのかは、しっかりと見きわめることが大切です。行政だけが理解し、いざというときに対応するというだけでは不十分であります。
 6月議会の感染症に対する危機管理でも申しましたとおり、行政には人的にも物的にも資金的にも限界というものがあります。その限界点をなるべき引き上げるためには、行政だけで対応する行動計画ではなく、市民の方々に、どのような行動計画でどのような規律と協力の精神で役割を担っていただけるかを考えていく必要があります。防災計画には当然、行動計画は組み込まれているわけですが、いざそのような事態になったとき本当に計画どおりいくのか、それは個々の市民の方々の緊急時の規律と協力の精神にかかってくるわけです。
 昨今、コミュニティーの力が希薄になってきたと言われています。元来、人はなぜコミュニティーを形成していく必要があったのか。それは危機発生時への対応、農作業などの共同作業の必要性からであったはずです。みずからの身を守るための行動のあり方や方法などを習得することは、当然最も大切なことですが、もう一歩進んで、危機時に子供たちに何ができるのかを考えさせることは子供たちに地域コミュニティーの大切さを教える場となり、また、子供たちにも地域の一員であるという自覚が芽生え、それが郷土愛にもつながっていくのではないかと考えます。
 小学高学年、中学生にもなれば、時には大人よりしっかりした行動がとれる場合もあります。危険なことは危険なこととしてきっちりと教えた上で、自分たちにできることは何かを考えさせることは、子供たちの自尊感情を高めることにもつながります。また、他人のために役立つことは、子供たちの心に喜びを与えることにもなると思います。つまり、危機時に自分と自分の家族のためにだけ行動するのではなく、隣近所の人のために何ができるか、できることはないかと考える。阪神・淡路大震災を経験した地域として地域防災を考える中に、子供たちの助け合いの心、思いやりの心を育てることが必要でないかと考えますが、当局の見解をお聞かせください。
 次に、今から12年前、ISOが施行され、COP3、京都議定書が作成された年、当時、環境について関心度は高まっていたものの、現在ほど多方面にわたって環境についての議論はなされていませんでした。当時私が所属しておりました伊丹青年会議所では、COP3の日本側事務局長を務めておられました鈴木善次先生監修のもと、子供たちに、環境問題を知るのではなく、自分たちの生活、行動が環境問題と密接にかかわっていることに気づいてもらい、みずからがどういう生活、行動をすればよいのかについて考えてもらおうと、教育委員会の御協力も得て、市内100名の中学生を対象に環境スクールという事業を実施いたしました。そして翌年、環境スクールの結果報告をまとめ、エコクラブの活用の推進、地域における環境活動への子供たちの参加の推進、環境コミュニティーセンターの創設、コミュニティー、理科教育から総合教育への変換の4つを掲げ、実現のためのプロジェクト案を提言書として市長に提出させていただきました。
 環境の保全のための意欲の増進及び環境教育の推進に関する法律では、環境教育とは「環境保全についての理解を深めるために行われる環境の保全に関する教育及び学習」と定義され、同法に基づき策定される基本方針には、さまざまな個人や団体が自発的に環境保全に取り組み、その輪が広がる環境をつくること、環境や命を大切にし、具体的行動をとる人材をつくる環境教育を実施すること、自発性の尊重、役割分担、連携への配慮をすることなどの3つが基本的な考えとして盛り込まれております。
 しかし、今の学校教育で行われてる環境教育は、環境保全、命の大切さに重点が置かれ、具体的行動の自発性を引き出すための環境問題の根底にある人間の行動、及びそれを引き起こす精神性には触れていない部分が多くあるのではないかと感じられます。
 例えば、一昔前では当たり前であった不便さについて学ぶことも必要ではないでしょうか。プラスチックは今では非常に便利で使い勝手のよいものですが、本当に環境のことを考えるならば、廃プラの問題に目を向けるとともに、プラスチックがなかった時代に人々はどのように生活してきたかを知るべきであると思います。今の生活は非常に便利で、後戻りができないと思われていますが、本当に後戻りができないのか、どうして後戻りできないのか、何がそれをさせないのかについて真剣に考えるときが来ていると思います。
 また、環境というのは自然と密接に結びついています。生活環境の面から考えるならば、道路に植栽されているイチョウの木も、道行く人々には、秋には美しく風に舞い散る葉は日本の風情そのものであると感じられます。しかしながら、道路沿いに住んでいる住民の方にとっては、枯れ葉の掃除に大変な季節になって嫌だと思われる方がほとんどかもしれません。これは立場を変えて視点を変え、「イチョウの舞い散る姿は何ときれいだろう、でもイチョウの木の前に住んでいる方は枯れ葉の掃除が大変だろうな」とか、「私はこの季節、枯れ葉掃除で大変だけれども、道行く人々はこのイチョウはすばらしいと思って眺めて楽しんでいるだろうな」といった考え方もしてみるべきで、互いに相手のことを思う心、日本人の感受性の豊かさを育ててきた根底がこのような心にあると私は思っています。
 しかしながら、実際にはそんな簡単に解決できる問題ではなく、なかなかうまくいきません。では、なぜうまくいかないのか、うまくいかせるためにはどのようにすればうまくいく可能性が出てくるのか、自分たちが何をすればよいのかについて考えることも必要であると思います。
 そこで、環境教育によって、「不便を我慢する心」、「立場を変えて相手を思いやる心」を加味して考える必要があると思いますが、当局の見解をお聞かせください。
 最後に、いたみ食育プランの食育の基本理念として、「食を通じて市民が生涯にわたって健康で豊かな人間性をはぐくむ」と掲げられ、基本方針3では、「食への感謝の気持ちを育み、食の大切さの理解を深めます。」とされ、重点目標として、「五感を育て、食物に感謝するなど豊かな心を育てましょう。」、「食文化を学び、伝え合いましょう。」とあります。
 例えば、持続可能な循環型社会を形成するためには食物連鎖というものはどういうサイクルで行われるべきなのか、自分たちの食べ物がどのように循環して自然に返り、また食物として生まれ変わってくるのか、そのサイクルを知り、そのサイクルを狂わすことのない工夫をすること、すなわち私たち人間が自然環境の中でどのように生活していけばよいのかを考えること、食物の命をいただく、人間はほかの生き物の命をいただくことによってしか生きていくことはできないのだという「生命のとうとさ」を学ぶこと、そのほか、生物の命をいただいているのだから、生産者の方々が苦労してつくった食べ物だから、残さず無駄にせず食べ物を扱うという「もったいないという心」を育てることは必要であると考えます。
 また、従来、「食」の「生産」段階の教育と「消費」段階の教育とがばらばらに行われる傾向があったことへの批判から、近年、「食環境教育」などが提唱されています。例えば生産地と消費地との距離が遠ければ、輸送などによる二酸化炭素排出量は地産地消に比べると大きなものになります。しかしながら、このようなフードマイレージという考え方には、まず何事も心がついていかなければ問題解決にはつながりません。日本の心、文化の中には、「身土不二」といって、自分の住んでいる土地の16キロ四方の食べ物で、その季節の食べ物を食べるのが一番体によいとされる考え方があります。食に対する知識を得、食べ物を選択する判断力を育てる、そしてその知識を生かし、実践することも大切ですが、感謝する心、もったいないという心を育てることも大切であり、食育において子供たちにそれらの心をはぐくむ教育も必要であると考えますが、当局の見解をお聞かせください。
 もちろん、これまでの取り組みの中でも、総合学習の時間や道徳の時間を使ってこのような学びや教えを子供たちに考えさせられてきたこととは思いますが、それぞれの年代で感じ取れるもの、吸収できるものは当然ながら違ってきます。いま一度、系統立てて、「助け合いの心」「思いやりの心」「我慢する心」「相手の立場になって物事を考える心」「感謝する心」「もったいないという心」を子供たちの心にはぐくむ、そして身につけてもらえるような教育を伊丹の道徳教育の特徴としていただけないかと思います。
 以上、1回目の質問を終わらせていただきます。
以上

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